その違い、考えたことがありますか?
優しさと思いやり、両者の違いについて、あなたは考えたことがありますか?
違和感のある問いかけのように思われるかもしれませんね。
これは筆者が以前、とあるお寺の住職から説法を聞いた時のものなのですが、とても印象深かったので紹介します。
本質的に異なる概念
おそらく多くの人は普段、優しさと思いやりという言葉を、特に意識して区別することなく使っているのではないかと思います。
相手に対して優しく接する、もしくは思いやりをもって接する、どちらも間違っていないように感じられますよね。
ただ、そのお寺の住職は、本質的に異なる概念なのだと説いていました。
その理由は、使われている漢字です。
【優】と【慮】
優しさという言葉に入っている「優」の文字は、優れているという意味も持っています。
相手よりも自分の方が優れていると考えているからこその言動であること。
それが優しいという意味であって、見方を変えれば、それは上から目線での振る舞いだというのです。
この話を聞いて、筆者はショックを受けました。
なぜなら、筆者は自分のことを優しさのある人間だと考えていたからです。
特に女性から、あなたは優しいわね、などと言われると有頂天になっていたものです。
それが、ガツンと頭をたたかれたような衝撃を受けたのです。
一方の思いやるという言葉は、相手の立場で考えるという意味です。
相手を慮る(おもんぱかる)という言葉がありますが、これも相手の立場であれこれ思いを巡らす、考慮する、配慮するという意味で、「おもいはかる」から転じたものだそうです。
人財育成でも心掛けたいこと
このように両者を比較すると、厳密には異なる意味であることが分かります。
優しさという言葉も、相手を思いやった結果の言動だとすれば、目くじらを立てるような違いではなく、いずれも相手に接するときに必要な態度を表すのかもしれません。
しかし拙著でも述べている、部下の本当の本音を引き出すという場面で求められる姿勢は、優しさではなく、実は思いやりなのだと言えるのではないでしょうか。
ちょっとした日本語の解釈の違いではありますが、普段、誰かに接する時に必要な心もちとして、そして当然、人財育成においてとても大切なことであると、思い出していただければ幸いです。